行動なくして
実現なし
001.想い

なんのためにやっているのか

 

 

 

 

 

 

 

 

頭をガーンと揺らされたのは、予定していた90分の議論が終わろうとしていた時だった。参加者の1人が「最後に聞きたい」といって発言した。

「心の灯を絶やすなといえば聞こえはいいけど、要は自分たちのやりたいことをやっていないということでしょ。じゃあなんのためにやっているの?税金で給料をもらう資格がないのではないかと僕は思う。 自分の気持ちを抑えて人を欺いて仕事をしている。全員がそういう姿勢で、 当選目的で当選してそのままじゃ、なにも変わらない。国会議員の検証ってなにもなされない。アチーブメントの検証がなされない。いまやっていることをちゃんとやらないといけないという危機感がない」

 

この日(9月10日)私は、「軽井沢ベース」というインターネット番組に出演した。地域の様々なことを発信している番組で、地元から国政に挑戦する私と、関心のある人で座談会を開いてみたらどうかと誘われた。「心の灯を絶やすな」とは、尊敬する政治家の「政治の世界で生きていくためには様々な妥協を強いられるが、心のろうそくの灯を絶やすな」というメッセージの一部だ。議論の半ばで私が紹介した。他にもこんな意見が出た。

「これからの政治家は妥協したらいけないのではないか」「正しいと思ったことを正しいと言っていく。たとえ凄まじい批判にさらされても、それは期待の裏返しだから恐れることはない」「自分の言いたいこと、やりたいこと、信じたところを、仮に殺されても、2期目の選挙で落ちてもいいから貫くんだというなら、議員歳費は高いとは思わない」

 

私は人と人とのつながりや、人の意見をきくことを大切にしたいと思っているが、それが迎合や妥協になってはいけないことも分かっている。ましてや「心の灯を絶やすな」と言った政治家は、決して安易な妥協をする人ではない。
しかし、これまで政治は妥協と迎合を積み重ねて様々な問題を先送りし、問題を大きくしてきた。そうした現実の壁を突き破ることができる、揺るがない決意で挑む政治家が求められていることを改めて感じた。
政治活動を始めてそろそろ3年になる。自分では分かっていると思い、そう言ってみても、生半可な覚悟なら期待されることはない。冒頭に紹介した発言に私は、「政治家になる前からそんなことを言っているようではダメだよ」と言われた思いがした。覚悟を問われた座談会だった。

 

私は社会に出る時から「公のためになりたい」と思ってきた。学生時代10年間野球を続けたが、お世辞にも上手いと言えるレベルではなかった。それでも多くの人に支えられて、いや、支えだけでまっとうすることができた。「社会に出たら今度は自分が人のためになるんだ」という思いが芽生えたのはそうした経験からだ。

社会に出るにあたり、取材という公共性の高い仕事を選び、その中でNHKという会社を選んだのも、公共放送という会社の使命に憧れたからだ。NHKという組織を飛び出していまは政治の舞台に、「国のために働きたい」と活動を続けている。「公のために」を全うするために歩んでいる道の途中である。自ら考え行動するということは、その方向性を自分で決めるということにほかならず、私のベースは「公のために」である。

 

座談会には、軽井沢の人だけでなく、長野市、上田市、小諸市、佐久市から、全部で10数人の人が参加してくれた。番組を見てくださった方は150人を超えたときいた。貴重な機会をいただき、番組に関わった全ての方に御礼を申し上げたい。