平成11年、山口県光市でおきた母子殺害事件で、犯行当時18歳1か月、事件から13年経って30歳になったという被告の死刑が確定した。
きのう(21日)、いくつかの新聞やネット記事に目を通したが、なかなか言葉がみつからない、非常に考えさせられるニュースだった。判決翌日の社説で、死刑を「妥当」としたのは産経新聞の「主張」だけだった。信濃毎日、読売、日経、毎日は、様々な問題提起こそあったが、社としての態度は明確にしていなかった。朝日は社説にこの話題がなかったが、日を改めて考えが掲載されるだろう。
親しい人がある日突然亡くなる。受けいれ難い死は、回りの人の人生を変える。地震などの災害で家族を亡くした人、事故や事件に巻き込まれて家族を失った人、病気で幼い子に先立たれた人。これまで、親しい人を突然失った多くの人たちと接してきた。
中でも犯罪は人間が起こすことなので、残された人がもち続ける「なぜ?」という気持ちが非常に大きい。犯罪によって親しい人を失った人の話をきくと「どうしてこんな試練を与えるのだろう」とやりきれない気持ちになる。事件の前には戻れない現実に、胸が痛む。
記者になってまもなく、当時いた宮城県で、犯罪被害にあった人や家族をサポートする「みやぎ被害者支援センター」ができた。犯罪に巻き込まれた人や関係者にとって、事件直後のメディアスクラムも被害の1つである。そんな自責の念もあって、記者になって1年がたったころに、センターの賛助会員になった。母子殺害事件で妻子を失った本村洋さんや、全国犯罪被害者の会「あすの会」の顧問である岡村勲さんを聴く機会にも恵まれた。
判決をめぐる報道で一番心に響いたのは、20日夜にラジオで聞いた本村洋さんの「判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点でみん