5月15日から19日までいた宮城県では多くの人と再会した。
自宅が大きな被害を受けたにも関わらず、ほとんど休みなく働く警察官。
震災直後、コメどころの実家から米を持ってきて
被災地に向かう署員の炊き出しに使ったという。
震災から2カ月がすぎてようやく自宅の片づけを始めたところだった。
タ取材でお世話になったタクシー運転手には街中で偶然再会した。
彼の実家は気仙沼で、母親が津波に流されたが奇跡的に助かり
仙台の自宅アパートによんで療養させていると話していた。
野球好きの小学生の息子がいたが、もう高校生だという。
仙台市のビジネスホテルは全国からのボランティア、自治体、
企業の支援者で毎晩どこもいっぱいだった。
最後の夜はNHK時代もっともお世話になった人の家に泊めてもらった。
その人の自宅は津波を受ける場所ではなかったが、
家の土台などにかなりの被害が出たという。
それでも昔と変わらず家族全員で歓迎してくれた。
私がカレーライスが好きだったことを覚えていてくれて
朝食にカレーを作ってくれた。
当時のままの大盛りカレーは食べ応えがあったが
その気持ちがなによりもありがたく、嬉しかった。
宮城県知事とも再会した。
村井 嘉浩(むらい よしひろ)宮城県知事は
私が仙台で記者をしていたときに3年間取材した。
私がNHKを辞めたことも落選したことも知る、気配りの人だ。
村井知事は
「こっちは大丈夫だから自分のことを長野で一生懸命やりなさい」と
励ましてくれた。
世のため人のためになりたいといつも思っているし
そういうつもりで被災地に行ったが、
たくさんの人に支えられていること改めて痛感する機会になった。