参院選の初日、県庁で立候補の届け出を終えたすみけい子候補と私は、すぐに栄村にむかった。すみ候補は、 栄村のことを知っていた。東日本大震災の翌日、 地震で大きな被害を受けたが、報道が少なかったことを覚えていた。 だから行きたいと言った。
私にとって、栄村は、 初めてボランティアにいった、忘れることのできない場所だ。 村の中の道も分かる。震災から2年と少し、 改めて住民の声を聞いてこようということになった。
私がボランティアにいった集落は、村の中でもかなり奥で、一度、 新潟県に入らないと行けない。取材でついてきたキャスターが「 ここは新潟県だから選挙運動はダメです」とわざわざ言いにきた。 遠かろうと、人が少なかろうと、行く意味がある場所には行く!
意地みたいな思いで午後になってようやく着いた栄村に は、新しい家がたくさんたっていた。公営住宅もあった。ただ、 裏を返せばそれだけの家が壊れたのである。 震災のあと、私がやったボランティアは雪かきと壊れた家の掃除だった。震災直後は、 雪が深すぎて被害の大きさを確認することができなかったが、 ようやくイメージできた。
更地も多かった。家の再建が始まったばかりの人もいれば、 再建を諦めて村を出て行く決断をした人も多かったので、 更地が増えたという。 私がボランティアでおじゃました数軒のなかの一軒は、見あたらなか った。
私にとって、栄村は、
途中なんどか行き止まりにぶつかり、遊説は苦労した。