震災報道をみていると、報道の難しさを改めて感じる。
3月11日の地震発生からしばらくは、「どこでどれだけの被害が出ている」、「被災者はこんなに苦しんでいる」という報道一色だった。被災者にマイクを突き付けることが無神経だと批判された。また、「悲惨さを伝える報道ばかりだと精神的にダメージをうける人が出る」という声もあった。
そして、復興へむけた明るい話題が増えれば、今なお大変な避難生活を続けている人、壊れた自宅の片付けに途方に暮れている人はどう感じるのか。
被災地報道が偏っているという批判もある。報道されない被災地が多いという声も多い。きょう、宮城県の消防課の人と電話で話す機会があったが、「仕方がないのかもしれないが今の報道は原発事故が中心だ」と話していた。
このブログでも再三書いてきたが、メディアの横並び的な体質が今回の震災報道にも大きな影響を及ぼしていると思う。まず、震災報道の割合である。災害報道を公共放送の使命と位置付けるNHKはかなりの間、特別編成で震災報道を続けてきた。しかし、視聴率の高い時間帯は通常体制に戻りつつある。震災報道なら各社それぞれ、「うちは復興の動きを徹底的に伝える」とか、逆に、「被災地の悲惨さを徹底的に伝える」というスタンスがあるべきだ。「他社が通常の放送体制に戻っても、うちだけは半年間は震災特別態勢でいく」という方針の社もああるべきだ。視聴者や読者の声に敏感であることは必要だ。しかし安易な横並び報道に走ったり、批判の出にくい「無難」な放送にとどまったら、視聴者や読者の気持ちは離れていく。普段から他社の様子をうかがい横並びの報道に終始しているから、どこの放送局、新聞社も金太郎飴のような報道になっているのではないか。視聴者や読者に、「どこも同じニュースばかりだ」と失望されているのではないか。大手メディアは何社もあるが、今一度、自社の存在意義を見つめ直し、独自の視点で震災報道を展開してほしい。今回の震災はそれだけ大きな出来事だと思う。個人的には、まだまだ被災地に目をむけて欲しい。困っている人たちにカメラを向けてほしい。政治の世界は、本格復興だとか政局的な話が増えつつあるが、まだ目の前の生活に困っている人がたくさんいる。私はインターネットの一部に氾濫しているような、大手メディアの存在価値すら認めないような批判をする気は全くない。メディアを信じている。