行動なくして
実現なし
001.想い

長期的な支援が必要だ

4月23日読売新聞朝刊によると、東日本大震災で日赤と中央共同募金会によせられた義援金は1700億円で、他にも200億円が直接自治体に集った。地震の発生から40日余りで、阪神大震災で寄せられた義援金とほぼ同じ金額に達したという。

「義援金」は、被災者の生活支援にあてられるもので、市町村の予算に組み込まれて復旧対策や復興事業に使われる「寄付金」とは使い道が違う。義援金は例えば、一時金として被災者に支払われる。栄村では4月13日に日赤などから配分を受けて、全壊の30戸に一律35万円、半壊50戸に一律18万円を送金したという。また、その後新たに判明した70戸の半壊世帯にも後日18万円が配られたという(毎日新聞23日朝刊)。栄村のほかにも、東北や茨城の自治体で、義援金の受給申請が始まったというニュースを新聞などで目にするようになった。

津波の被害が大きかった岩手・宮城・福島・茨城の4県では、インフラや住宅などの被害が16兆3730億円にのぼると日本政策投資銀行東北支店が試算した。中でも岩手県沿岸部は資産の47パーセントが喪失したという(28日産経新聞)。街の半分がなくなるということを自分の地元に置き換えて想像すると言葉が出ない。今回の震災復興で必要なお金は20兆円とも言われている。こちらは国会で補正予算がまず4兆円規模で議論されているが、特に財源の確保など、国民の理解が得られる内容となるか、政治の正念場だ。

義援金は、こうした総被害額と比較するとわずかな金額だが、民間有志の支援として長期間続けてほしいと思う。私は地震発生直後1週間、街頭で義援金を集めた。多くの人の「なんとかしなきゃ」、「自分にできることをしよう」という気持ちを肌で感じた。ただ、募金したお金がその後どうなったかが分からなかったり、地震関連の報道が減るとどうしても関心が低下することは避けられない。今後の義援金活動を国民的に継続するにはどうしたらよいのだろうか。

まず、集まった金額と使い道をどんどん公表する。毎月でも毎週でもニュースにしてほしい。まだ足りないなら、「あといくら必要だ」と言ってもらってもいい。冒頭に紹介した読売新聞も、23日に掲載された記事なのに金額は古いデータをつかっている。新しい情報が出ていないということだろう。とにかく情報を徹底的に出し続けて、国民の理解を得ることが必要だ。詐欺事件や募金箱の窃盗事件など、支援に水を差すような事件も多いが、信用が第一だと思う。そういう意味では私の友人が、信用ある募金団体をまとめたサイトは多くの人にとって有効なツールだと思う。先日紹介したサイトを改めて紹介したい。

http://kifusuru.com/  (日本語版)   http://donate-japan.com/  (英語版)

 次に、募金方法の簡略化も大切だと思う。最近は店舗のレジなどで募金箱を見るが街頭募金はさすがに少なくなった。多くの団体がホームページなどで募金をしている。しかし、募金の方法が、金融機関を使った振り込みや書留などが多い。インターネット上で最もお金のやりとりが簡単なのはクレジットカード決済だ。募金の方法としてクレジットカード決済が広まってほしい。特に海外からの送金でクレジットカードは大きな効果があると思う。

そして日常の暮らし、経済活動の中での長期的な支援が欠かせない。経済活動の行き過ぎた自粛は良くないという考えは国民全体に広まっていると思う。仙台七夕まつりも8月に例年通り開催されるという。地元の佐久バルーンフェスティバルも5月3日から5日までの間、復興支援イベントとして行われる。収入や競技賞金の一部を義援金にするほか、チャリティライブもあるらしい。こうしたイベントのほか、日常の暮らしの中でも、多くの店が「買い物をしたらこのうちいくらが義援金になります」という取り組みをしている。こうしたチャリティの精神で長期的な支援を続け、さらに景気の回復につながればいいと思う。

経済活動だけではない。兵庫県たつの市の中学校では段ボールや古紙の回収を生徒会が行い、換金して義援金にあてている。長期間にわたって義援金を送れる取り組みにしたいという(27日朝日朝刊)。私が参加している1キロ走るごとにいくら寄付するという「チャリティラン」も、マラソンという共通の趣味から多くの人が参加している。

被災地以外は普通の生活に戻りつつある。報道も震災関連が少なくなっている。しかし、被災地の状況は変わっていないという声は多い。警察庁のまとめによると4月27日夕方の段階で、死者14517人、行方不明者11432人、負傷者5314人。そして避難生活をしている人が13万人以上いる。避難所以外で不便な生活を余儀なくされている人も相当いるはずだ。まだまだ震災被害に正面から向き合っていかないといけない。