「どうして人のあげ足をとるような報道ばかりするのか」
政治の迷走の責任の一端がメディアにあるという批判を
これまで数えきれないほど聞いてきた。
また、最近、
「報道の自由といってもなんでも許されるのか」と言われた。
これは、ニュージーランドの地震で行方が分からなくなっている
日本人の写真を、メディアが家族の同意なしに
電話やインターネットで同級生などに接触して
入手したことに対する批判である。
どちらも耳が痛い話だ。
特に事件や事故で亡くなった人や行方が分からなくなった人の
遺族や関係者に接触する取材は、私自身とても辛かった。でも
やらねばならないこととして葛藤しながら取材をしてきた。
視聴者や読者に伝えるべきことだと感じたら、嫌なことでもやる。
しかし、他社との競争しか見えずに、
踏み込むべきでないところに踏み込んだり、
些細なことを大げさに報道している現状がある。
私はインターネット上にあふれているように
既存の大手メディアや記者クラブを全否定する気はないが、
経験者として、
必要な批判や提言をしたいと日々考えを巡らせている。