裁判員裁判が始まって今月で5年。
裁判員経験者はこれまで5万人なので、ほとんどの人が縁遠い話かもしれないが、制度が続く以上関心をもってほしい分野の1つだ。
産経新聞5月21日朝刊では、死刑判決に関わった裁判員の葛藤が紹介されている。
裁判で無罪を主張していた被告に対し、「万が一にも間違いがあってはいけないと慎重に判断」した上で死刑判決に至ったという女性の裁判員。
しかし、女性裁判員が慎重にも慎重をきしたという判決は、2審で、先例との比較から破棄された。そのとき女性は放心状態になったという。また、えん罪報道などにふれると、黒か白か、全てがよくわからなくなったという。
女性の「別に死刑になってほしいと思っていたわけじゃない。抱えたものがどんどん重くなっている。答えのわからないことを考えるのが辛い。封印したい」という言葉は重い。
裁判員裁判は、今は殺人などの重大犯罪が対象となっているが、裁判に市民感覚をとりいれるという制度の目的から考えると、重大事件のみを対象とするいまの枠組みは疑問だ。
私は、検察と被告の間に争いのある事件を対象の軸に据えてほしいと思う。重大事件とはいっても、検察と被告に争いの無い事件まで裁判員を関わらす必要は薄いように思うし、罰則が軽い事件でも、被告と検察が争いのある事件だったら、市民感覚で見て欲しいと思う。
5年間、裁判員制度が概ね順調に行われてきているということだけで、見直し議論がない現状が残念だ。