行動なくして
実現なし
001.想い

戦争で亡くなった方々の慰霊

長野県護国神社

戦後68年目の夏に入り、来月の終戦の日にむけて、

戦没者慰霊祭の日程も入ってきている。

先日、松本市の護国神社であった慰霊祭に参加した。

 

その慰霊祭は、ニューギニア方面で戦死した

長野県内の3474人を慰霊するために長年続けられ、

今年で45回目だという。

もともとは、共に戦地にいった戦友の方々で慰霊祭をしてきたが、

いまは遺族の方が中心となっている。

 

国家議員、県会議員などの来賓は、

挨拶をして一時間ほどで退席したが、

私は時間があったので、最後まで残って

遺族のご挨拶をきかせていただくことにした。

遺族を代表して2人の方がお話しされたが、

中身は大変興味深かった。

 

最初にお話しした女性は、父が戦死したという。

女性がニューギニアを訪れようと思ったのは、

戦後、一家を支えてくれた母が98歳で亡くなった最近のことだという。

母と父を近くにいさせてあげたいと、

戦地で散骨をしたという。

慰霊碑のまわりが草ぼうぼうで

いたたまれなかったという話もしていた。

 

もう一人の男性は、

戦死した父は、ご自身が4歳のときに出征したから

父のことは正直わからないと。

でも自分が定年退職をしたのを機に

慰霊をはじめようと思ったという。

男性が特に強くお話しされたのは、

長年の慰霊を支えてきた

遺族会スタッフへの感謝の気持ちだった。

ボランティアで長年慰霊を支えてきた

事務局やスタッフに、感謝状だけでも渡したいと提案し、

大きな拍手が起こっていた。

遺族会のスタッフのみなさんの、

遠慮がちな、それでも嬉しそうな笑顔が素晴らしかった。

 

遺族の高齢化が進んでいるとよくいわれるが、

二人のお話をきいていて感じたのは、

時間がたっても、戦没者への想いは

さまざまな形でいき続けている。

私がかつて見聞きしたような、

戦没者への直接的な感情は

お二人の挨拶からはうかがえなかったが、

それぞれの形で

慰霊に関わっていきたいという強い想いを感じた。

 

私は親も戦後生まれで、

戦争経験から時間的にどんどん遠くなっているからこそ、

私たち若い世代は積極的に、

戦争体験を知る必要があるということを

お話しさせていただいた。

 

ほかにも、慰霊祭の前に遺族会のみなさんとお話しした。

中国との関係が悪化して、現地に慰霊にいけなくなったとか、

行っても、現地から遠くはなれた宿泊先で、

お線香をあげることすらできないといった話をきいた。

 

「慰霊をきちんとやりたいんだけど、

いまのままだと中国の人だって、

日本の兵隊の家族が来るときいたら、構えちゃうよね」

 

慰霊ができないからといって中国を批判することもせず、

それでも、慰霊ができない無念さを感じる言葉だった。

 

 

政治家の場合、外交上の摩擦はつきまとうが、

参拝や慰霊に、いこうと思えばいくことができる。

しかし、慰霊にいきたくても

いくことがかなわない人たちがいることに

もっと向き合わないといけない。

 

私は、時間がかかると思うが、

慰霊が堂々とできるようにしたいし、

外交上の理解も得たいと思っている。

 

憲法の問題、安全保障、領土の問題、

様々な問題が絡み合う問題ではあるが、

戦争を二度とおこさない、そして戦没者の慰霊をしっかりとやりたい。

こうした想いを形にするためには、なにが必要なのか。

慎重に議論していきたい。

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