節電のため今年から、「スーパークールビズ」なるものが始まった。霞ヶ関でアロハシャツを着た寒そうな男性が何度もテレビで報道されていた。クールビスが始まった数年前から思っていたことだが、服装はもっと自由でいいと思う。クールビズやスーパークールビスが、服装の自由化につながってくれれば嬉しいのだが。
クールビスが始まったときにものすごい抵抗感を感じた。寒さは日によって違うし、その場にふさわしいと思う服装を個人個人が選択するべきだと思った。そんな訳でクールビスが始まってからも私は、ここぞと自分が思うときはネクタイやスーツを着用していた。しかし、なかなかそうはいかない。取材で行く先々で、「きょうはノーネクタイでお願いします」と、ネクタイを外さないとその場に入ることも許されないようなところもあった。自由からは程遠い。
どうして服装の自由がないのだろうか。子どものころに制服を着るせいだろうか。「みんなが同じじゃないといけない」という精神が、たかが服装で蔓延していることが残念だ。TPOは大事だが、個人個人がその場にふさわしいと思う恰好をすればいいと思う。自由の方が個人のセンス、工夫が問われるので、その人の人柄が表れていいと思う。
クールビズはたしか、「涼しい」とか「カッコイイ」の「cool」と「ビジネス」の「ビズ」を合わせた造語だったと思う。要は、冷房や暖房をできるだけ使わないことに個人個人が我慢できればいいだけの話だ。
この際、フリー(free)ビズを提案したい。フリービズでいこう!