1年前の4月21日、お世話になった人が突然亡くなった。
記者と取材先という関係だったのでこれまで公にすることをためらっていたが
その人は、私がNHK横浜局に転勤後、2009年から1年と少しの間
横浜地検の特別刑事部長だった。以下、特刑部長と書かせていただく。
地検という組織は情報のガードが固く取材が難しい。
東京や大阪の地検は大きな事件を手がけるので取材合戦も激しいが
地方の地検を取材する記者は適当に地検とお付き合いして
異動や転勤でさよならとなるケースが多い。
仙台で警察取材を3年間、たいていのことをやった私は
事件報道に携わる者としてどうしても検察取材をしてみたかった。
私の同期が仙台地検の取材で相当苦労しながら成果を出していたことも
刺激になり、挑戦してみたい気持ちもあった。
横浜に赴任して案の定、
地検取材がまるでうまくいなかったときに特刑部長と出会った。
特刑部長は検察庁の組織についていろいろ教えてくれた。
若い時に留学する検事がいるが、出世の見込みによって
半年から2年コースに分かれていることなど、
豆知識をたくさん教えてくれた。
私がたくさんの検事と臆せず話ができるようになったのも
特刑部長のおかげである。
特別刑事部は、殺人事件などの凶行犯罪を扱う刑事部と異なり、
脱税事件や巨額の詐欺事件、公安事件など、数は少ないが特殊な事件を扱う。
特刑部長は若手検事から絶大な信頼を得ていた。
若手を信用し、仕事を任せることができる腹のすわった人だった。
特刑部長がいた間、横浜地検特別刑事部は多くの事件を立件した。
私がNHKを退職して、冤罪事件、証拠改ざん事件など
検察の問題が噴出したときに私が
私なりの意見を述べることができたのも特刑部長のおかげである。
特刑部長は私とつきあっていたときから
村木厚子さんの裁判や栃木の菅谷さんの再審を気にして
検察の将来を憂いていた。
警察からの信頼も厚かった。
警察と検察は一般論でいうとあまり仲が良くない。
警察が逮捕して取り調べた容疑者を起訴するのが検察なので、
検察は、捜査過程で警察の上部組織にあたる。
このため警察への注文が多い。
警察が苦労して立件した容疑者を起訴しないことも多い。
特刑部長は剣道が好きだった。5段の剣士だった。
検事も全国転勤である。特刑部長は勤務先の県警で、
警察官と剣道で汗を流していた。
私も1か月半ほど剣道を習った。
いただいた木刀と竹刀が私の部屋に大切にしまってある。
立ち飲みの居酒屋などで手軽な焼酎やハイボールを楽しみながら
葉巻を吸うのが好きな人だった。カラオケが上手な人だった。
通勤電車内では「鬼平犯科帳」の文庫漫画を愛読していた。
私はNHKを辞める時、家族と社内の人に話した後、
取材先で最初に特刑部長に意思を伝えた。
私がNHKを辞めてからも、私を気にかけて飲みに誘ってくれた。
具体的な選挙を決めないまま退職した私を
「必ずできる」と励ましてくれた。
先行きの見えない私を信じてくれる数少ない人だった。
特刑部長は去年4月、広島へ転勤した。
3月に
「次回は、広島で」と
広島で飲む約束をした後、突然の訃報だった。
1年の命日にお墓に行くことができず大変申し訳なく思う。
特刑部長の優しい笑顔を思い出しながら
改めてご冥福をお祈りしたい。