24日の続きから。
私と3人のボランティアが向かったのは、役場から一旦新潟県に入り、再び長野県に戻る集落だ。訪れた家は「斎藤さん」という高齢者夫婦だ。地図でみたら、集落のほとんどの世帯が「斎藤さん」だった。
豪雪地帯にある古い家は、数メートルの雪の重さに耐えられるようしっかりした作りになっている。それでも玄関付近が大きく傾いたり、ずっと使っていた囲炉裏が陥没して使えなくなったと斎藤さんは話していた。24日は終日、斎藤さん宅で、補修に向けて家の回りにある薪の移動や雪かきをした。斎藤さんの家は、風呂を焚くにも薪のボイラーを使っていたが、そのボイラーも壊れてしまった。
私は災害ボランティアは初めての体験で、朝事務局でもらった注意事項に、「依頼者とコミニケーションをとるように」と書いてあったのでこちらから斎藤さんに話しかけた。斎藤さんは、「この集落はみんな名字が斎藤だから、印鑑忘れて役場に行っても大丈夫だ」などと冗談をいっていたが、アスパラと米を作っている農家だという。畑や田んぼは、雪が解けないと地形変化が分からない。今シーズンにむけて、高騰する肥料を農協に手配してしまったから、被害がないことを祈るばかりだと話していた。
被災した住宅のボランティアは、片付けなどの肉体労働がほとんどだ。男手がどうしても必要になるが、女性ボランティアの役割も大きい。25日にお邪魔した女性2人の高齢者住宅では、倒れた箪笥から散らかった衣類を片づける作業があった。こういう仕事を女性ボランティアが、お年寄りの話し相手をしながらしてくれると依頼者も安心する。高齢者だけの住宅だと、被災以前に大きなゴミが出せないなど、普段の生活から苦労していることが多い。ボランティアとはいえ依頼者からすれば、被災してめちゃくちゃになった自宅に第3者を入れるわけだから不安も大きい。
ボランティア事務局に仕事を依頼していながら、ボランティアが現場に行くと「やはりいい」と遠慮する被災者もいる。依頼者とボランティアを調整するボランティア事務局の苦労もよくわかった。早起きしてやる気満々でボランティア事務局にいっても、仕事の調整のために待たされることがある。事務局の苦労を思えば本でも読んで待つのがいい。
ボランティアの人数は少しぐらい多い方がいい。25日に行った家庭では、家族が2週間かけて積み上げた大量の薪が崩れてしまった。薪割り機で割った大きな薪を片づけることは容易ではなかった。最初は、私を含めたボランティア4人で片づけていたが一向に片付かない。しかし夕方になって、他の被災者宅で仕事を終えた数人が応援に入り一気に片付いた。被災した家族の感謝の笑顔が何にも代えがたい報酬だった。
記者時代、私は2002年から08年まで宮城にいた。宮城は当時から地震が多く、仙台市や今回大きな被害がでた南三陸町など、各市町村が毎年防災訓練に力を入れていた。ボランティア団体も訓練に参加していた。今回のように自治体の対応能力を超える被害が出る大震災では、他市町村からの自治体職員の応援が必要だ。それとともにボランティアを組織するボランティア団体も応援、連携が欠かせないと思った。そうしないと初動対応がどうしても遅れてしまう。隣県や周辺市町村、もっというと全国的に震災ボランティア団体が連携しておくことが必要だ。地元のボランティア団体が被災してしまったり、食料や連絡手段がない初動段階にどれだけ動けるかは、普段の備えかかっていると思う。そういう点では全国組織であるJC・日本青年会議所の存在は今回大きかったのではないか。栄村にも県内各JCが応援に入っていたし、人の派遣や物資の運搬などにすぐ対応できる組織はこういうときに強い。JCは普段、酒ばかり飲んでいると批判されることもあるが、やる時はやるのである。
最後に一つだけ。
栄村は、東北地方に比べると被害が小さかったため、報道が少なかった。しかし、多い時は1500人が避難し、今も700人近い人が避難生活をしている。水道の復旧は雪解けを待たないと配管工事ができない。さらに土砂災害の拡大も懸念され、毎日監視が続いている。こうした非常事態が続く中、どうして選挙を予定通りしないといけないのか。雪深い被災地に立てられた選挙ポスター掲示板をみて、全国的な選挙延期を英断できなかった今の政治に憤りを感じた。
今後も栄村、そして東北地方にボランティアにはいれないかなど、自分にできることを考えたい。