残念なことがまた一つ明らかになりました。大阪地検特捜部検事の証拠改ざん疑惑です。
この文章を書いている間に証拠隠滅の疑いで逮捕されたというニュースが流れました。
元厚労省局長・村木さんの無罪判決が出た時に書こうかと迷ったのですが、
これ以上、想いを内に秘めることができなくなったので書きます。
村木さんは判決直後の記者会見で「検察を信頼したい」と話していました。 心打たれました。
検察はもちろん、警察もそうですが、捜査機関は正しくて当たり前という仕事です。
間違いがあってはならない非常に使命感の高い仕事だと思います。
当然、捜査機関になにか問題があると大ニュースになります。
検察は村木さんの無罪、そして足利事件の再審無罪などこのところ逆風にさらされています。
かつて検察の威信を高めたリクルート事件でも、
少し前に検察の取り調べの厳しさを暴露する本が出ました。
ここ数年、「取り調べの全面可視化」への要望が強いのは、捜査機関への不信が根本にあります。
しかしちょっと待ってほしい。
私は取り調べの可視化は慎重であるべきだと思います。
私は今なお、「検察を信頼したい」1人です。
私は記者時代、といっても8年弱という短い時間でしたが警察・検察の取材が半分以上でした。
事件記者として有能ではありませんでしたが多くの警察官、検事と知り合ってきました。
警察や検察になる人は、私なんかと比べ物にならないぐらい正義感をもった人が多いです。
警察官には名前に「正」や「義」が入る人が結構いて、
これは決してたまたまではないと感じたほどです。
厳しい取り調べは年々許されなくなっています。
そこが、かつて多くの事件で実績をあげた年配の検察・警察幹部と
今の若手検事・警察官の間にある決定的な違いです。
さらに取り調べが可視化されるとどうなるのか。
取り調べで、国会の昔の証人喚問のように
「記憶にございません」が繰り返されるかもしれない。
また、村木さんの裁判では、そもそも事件の中核だった「凛の会」の人間が、
「厚労省の女性の課長から(偽造した)書類を受け取った」と、あいまいな供述をしたのが
村木さんの関与が疑われたきっかけだったと報道されています。
先日NHKの番組で、その凛の会の人が
「凛の会が書類を偽造した責任を少しでもやわらげたかった」という内容の話をしていました。
犯罪を犯した人間が少しでも自分の情状を良くするために責任転嫁の言い逃れをする。
これが録画されることで、逆に信ぴょう性を持ってしまうこともあり得ます。
去年から重大な刑事事件は裁判員裁判が始まり、裁判は大きな変化を遂げています。
極端にいうと、これまでの書類偏重のセレモニーのような公判から、
公判でのやり取りが重要なプレゼンテーション型に変化しています。
以前から指摘されている検察の証拠を裁判官が鵜呑みにする裁判が変わりつつあります。
警察が立件した事件を検察が、「犯罪事実を特定するにはいたらなかった」として不起訴にし、
裁判に至らないケースも増えています。
裁判員裁判が始まり、捜査は一部で慎重すぎると批判がでるぐらい慎重になりつつあります。
取り調べの全面可視化よりも、裁判員裁判を定着・拡大させることが、
冤罪やずさんな捜査をなくすことにつながると思います。
たとえば、「被告側が公判前に行われる協議で希望したら裁判員裁判を実施する」
というようにすると、もっと法廷が緊張感のある場になると思います。
市民感覚が100パーセント法律の正義と一致するとは思いませんが、
否認事件などに裁判員裁判を実施した方がいいと思います。
裁判をもっと緊張感をあるのもにしていけばずさんな捜査などできるはすがない。
「検察を信頼したい」人間の1人として、検察に今回の証拠改ざん事件の検証を求めたい。
そして、正義を社会に示すような事件を立件してほしいと思います。