東電原発賠償問題の質問終わり。きょうは今国会最後の質疑で、答弁者は東電の石崎芳行副社長や下村文科大臣。
以前、今年4月9日にこの問題を質問した時に、東電から来たのも石崎副社長だった。数日後私はたまたま「記者たちは海に向かった〜津波と放射能と福島民友新聞〜 門田隆将(角川書店)」を読んだ。この本に、石崎副社長が出ていた。
石崎副社長はかつて福島第二原発の所長をしていたことがある。転勤の際は地元の人が送別会をやってくれて、東京へ向かう最終列車のホームまで見送りにきてきれたという。
震災後、石崎副社長は被災者が避難している所や遺体安置所を何度も訪れた。そこで「あんた、安心安全だといったよね。騙したね」と悲しそうな目で言われたことがあり、でも、後で駆け寄ってきてくれて手を握って「あんなこと言ったけれど、信じているよ」と言ってくれた人もいたという。
石崎副社長は「福島の人たちのために精一杯やらなければ、自分は死んでも死に切れないと思った」という。
この場面、石崎副社長は社長に同行するだけの立場だったが、顔なじみの福島民友新聞社の記者の姿をみて、わざわざ記者の元へ戻って記者に「僕はこれからの福島に一生を捧げます。できることは何でもやらせてもらうつもりです」と言って深々と頭を下げたという。
石崎副社長の福島を思う気持は、私の思いより遥かに遥かに強い。
東電はこれまで、東電の社員や家族が被災者の案件について、和解案を拒否して話し合いを打ち切ったケースが数十件ある。一般の被災者との和解を東電から打ち切ったことはこれまでない。社員やその家族がそうでない被災者と賠償に差が出るのはおかしいと思う。
またここへきて、飯館村蕨平地区の住民111人が申し立てていた案件が、和解が成立するかどうか詰めの局面にきている。蕨平地区は、隣接する帰還困難区域の長泥地区より高い放射線量が測定されているにも関わらず、蕨平地区が居住制限区域であるということを理由に東電は和解案の受け入れに難色を示している。被災の実態に見合った賠償がなされるかどうか、今月末に予定されている和解協議は極めて重要だ。
賠償という問題は必ずしも当事者の思い通りにはいかず、非常に厳しいものがある。それでも、「石崎副社長の思いを東電という組織が被災者に向き合う際に生かしてほしい」ときょうの質問の最後に石崎副社長に伝えた。東電には石崎副社長のほかにも、福島へ熱い思いをもっている人がいるはずだ。