おととい6月7日、法務委員会で、性犯罪罰則強化などの刑法改正案が質疑、採決。1日の審議で採決というのは、論点の多さ、性暴力の被害者や支援に関わって来た人たちの訴えからするとあまりに拙速。他の議員の質問内容も見て、重ならないようにと、一時間あまりの時間に、これまでの準備の全てをかけた。
以下、議事録全文と()内は私の解説、感想。
おそらく今国会、最後の質問。今国会はこうした質疑解説にも取り組んでみたが、長文にお付き合いいただいた皆様に感謝。
◯井出委員民進党、信州長野の井出庸生です。
冒頭、先週の金曜日、本会議で性犯罪の刑法改正の審議が始まり、きょうが事実上最初の質疑の日であるにもかかわらず、本日をもって議論が終局し、採決に至るというこの運びについて強く抗議を申し上げます。
ことしの先月二十九日、性暴力禁止法をつくろうネットワーク、こうしたさまざまな活動をされてきた皆さんからも緊急声明が出ております。緊急声明には、刑法性犯罪の改正よりも共謀罪の審議が与党の合意によって先行されたことについての深い憤り、その上で、刑法の改正を放置することは許されないと。そしてまた同時に、一方で、この改正案には強姦罪の暴行、脅迫要件の緩和等数々の積み残された論点があり、審議に当たっては当事者の声に耳を傾け、改正案に盛り込まれなかった論点も含め十分に議論することを強く求めるとあります。
私は、ここまで、当事者の方の声を、当委員会に参考人として来ていただいて、御意見をいただきたいということを申し上げてまいりました。しかし、その一方で、残念ながら、昨日の理事会では、私のそのような発言に対して、それではこの法案の早期改正というものを諦める、そういうことに等しいというような発言があり、断じてその発言は認められない。
私は、性犯罪刑法の改正の早期の実現と慎重審議、その両方をこれまで訴えてきたつもりでございます。そこは委員長もおわかりいただいていると思いますが、一言いただきたいと思います。
○鈴木委員長 重く受けとめております。
○井出委員 その上で質問に入ってまいりたいと思います。
今回、被害当事者の方々が、与党、野党を超えて一年以上にわたる活動をここまでされてまいりました。そのことについては先日本会議でも申し上げましたが、深く感謝を申し上げます。
大臣にお伺いをしますが、そうした当事者の方と直接会話をされて、そうした皆さんの声を直接聞かれた機会はこれまであったかどうか、伺います。
○金田国務大臣 井出委員の御質問にお答えいたします。そういう機会を持って、お話を伺ったことはございます。
○井出委員 実際にお話をされたと。私も、少ない回数ではありますが、そうした方々とお話をさせていただきました。
また、きょう、本を持ってまいりましたが、山本潤さんという方が、「十三歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル」という本をこの刑法改正と時を同じくして出版されました。
本を読ませていただいて、少しでもそうした当事者の方々に思いをはせる、もし自分や自分の身近でそういうことがあったらどうなのかということに思いをいたして、この本の思いを深く受けとめさせていただいたつもりでございました。
しかし、この本の終盤に、山本さんは御自身の体験から、性暴力被害に遭われて普通の感覚を取り戻すにつれてわかってきたことがある、彼らは知らないだけなのだと。彼らというのは私も含めた社会全体のことを指していると思います。彼らは知らないだけなのだ、そのような恐怖を感じる世界があることを想像もできないだけなのだ、被害を受けているときには選択の自由などなく、彼らが後から言うような、逃げられたり誰かに助けを求められたりする状況など存在もしなかった、こうしたことを理解できないだけなのだと。
本の最後にそのように書かれておりまして、私は、この本の思いをしっかりと受けとめながら読ませていただいたつもりでありますが、それでも、最後の終盤のこの一節には、改めて、私もそうしたところに思いをはせるのに至らないと。再びまた振り出しに戻るような思いをいたしました。(←ここはFacebookですでに書いたこと。ぜひ読んでいただきたい一冊)
この法案の審議というものは、そうした当事者の方々に少しでも思いをはせるということが大変重要であると思いますが、その点について大臣の見解を伺いたいと思います。
○金田国務大臣 委員の御指摘につきましては、私もそのように考えております。(←もう少し、ご自身の思いが入った言葉がほしいところ。しかし、「私もそのように考える」というのは、大臣の常套句。争うところではないので、物足りないが時間に限りがあり、次の質問へ。)
○井出委員 質疑を続けてまいります。
今回、当事者の皆さんが特に強く要望されたものの一つに、強姦の構成要件、暴行、脅迫要件というものがございます。
私どもも、強姦罪の構成要件を何とか少しでも外形上きちっと基準を引きながらも解釈を広げられないか、また、強姦罪の定義を変えることができなくても、準強姦罪の方の抗拒不能という考え方、そこを判例に合わせて、心理的に反抗不能ないし著しく困難、こうした文面などを用いることによって準強姦罪の構成要件を変えることで、それがひいては強姦罪の解釈も変えていくことができないかとさまざま検討を重ねている最中でありました。こうしたことを形にすることができずに、大変残念でなりません。
刑事局長でも構いませんが、伺います。私は、強姦と準強姦というものを、本会議では、法定刑は同じである、強姦も準強姦も強姦であるということを申し上げましたが、強姦と準強姦は本質的にどのようなものを罰するのか。私は、本質的な罰となる対象というものは重なっている、同じではないかと思いますが、本質的な処罰対象について伺います。
○林政府参考人 強姦と準強姦は別の構成要件、別の罰条として掲げられておりますけれども、それを処罰する趣旨及びその保護法益というのは同一でございまして、その意味で重なっていると考えております。
○井出委員 保護法益、性的自由といったところを指して今お話があったかと思いますが、強姦罪の成立の経過を振り返りますと、明治十年、日本帝国刑法草案、これはボアソナードが起草しております。その草案では強姦罪に暴行、脅迫という文字が盛り込まれました。しかし、強姦の強という字に暴行、脅迫という意味合いが含まれるのではないか、そうした議論もありまして、最終的に、旧刑法の条文には、明治十三年の制定になりますが、強姦罪に暴行、脅迫の文言がございませんでした。その当時の三百四十八条は、十二歳以上の婦女を強姦したる者は懲役に処す、薬酒等を用い人を昏睡せしめまたは精神を錯乱せしめて姦淫したる者は強姦をもって論ずと。
ボアソナードは、強姦について、承諾を待たず、そうした考え方を持っていたと言われ、強姦罪の制定の最初のときから、強姦罪の本質は任意の同意のない姦淫にあるということは創設当時から共通認識であった。
今読み上げましたものは、二〇一四年六月に発行されました「性犯罪・被害 性犯罪規定の見直しに向けて」、女性犯罪研究会代表岩井さんという方の書かれている本なのですが、制定当初から、そうした任意の同意のないものを罰するというものがこの法律の出発点であったということを述べております。そのことは現在も変わりがないのか、確認を求めたいと思います。
○林政府参考人 同意がないということ、それによる性交であるということ、このことについて、その本質が変わりがないという点はそのとおりであろうかと思います。
今のは、ボアソナードの時代に、強姦罪の本質は何なんだろうか、こういうことを検討したときに、今委員が言われたように、被害者の同意のない性交であるということにそこの本質がある、そういうことを言われたんだろうと考えます。(←強姦や準強姦は、立証の基準として、暴行脅迫があったか、被害者が心神喪失だったかなど、どうしても処罰の構成要件を満たしているかどうかが注目される。罪を裁くには、法に明確に違反することを示さないといけないから、これはこれで仕方がないことだが、強姦や準強姦が、そもそもどんな行為を罰するためにあるのかということを、強姦罪の制定当時を振り返って質問。思いの外、全面同意の答弁)
○井出委員 この本には、強姦罪の本質は任意の同意のない姦淫を処罰することにある、そして、暴行、脅迫というものは被害者の承諾が不存在であることの証拠であると。ですから、これは、逆から考えれば、暴行、脅迫がなければ強姦が成り立たないということではないんだ、あくまでも本質は承諾不存在の行為を罰することであるということに言及しております。
ただ、さはさりながら、ボアソナード自身も、不承諾の確たるものとして暴行、脅迫というものを強姦の規定に置くことをその後行いました。その一方で、準強姦罪を制定する際にも、ボアソナードは、睡眠などに乗じた姦淫は被害者の承諾がないという点で暴行、脅迫による強姦と何ら変わりもないものであった、そのように発言しているとあります。その後、さまざまないきさつを経て現状の刑法の規定になっていくわけですが、私はもう一度その確認をさせていただきます。
強姦と準強姦、名前は違いますが、対象となる処罰の本質は一緒であり、そしてそれは不同意、不承諾の性的犯罪を取り締まるという解釈が出発点であった。それが法律上明確な線引きということでさまざまな構成要件というものを明示しておりますが、その出発点というものは今も変わらず。そして、今回ここがいじれなかったということは私にとっては最大の痛恨の事態ではありますが、この出発点をこれからも維持して議論を続けてまいりたいと思いますが、刑事局長の見解を伺います。
○林政府参考人 明治の時代での立法の出発点が今委員が御指摘になったところにあるかどうかということについては私が直ちにお答えすることは困難でありますけれども、今から振り返りまして、そのように、明治の時代の立案、立法の時点での強姦罪であるとか準強姦罪の本質は何であるのかということについて、それが同意のない性交であるということに本質を求めるという見解、これについては十分に考え得るところの見解であろうかと思います。
歴史的に、立案当時にそれを出発点としたかどうかということについては私はお答えすることができませんけれども、そういったことに強姦罪あるいは準強姦罪の本質を求める、同意のない性交であるということに本質を求めるという見解は十分に成り立ち得る考え方かなと思います。(←歴史的なことには直ちに答えられないとしながらも、極めて誠実な答弁)
○井出委員 十分に成り立ち得ると言っていただきました。
この本の最後の部分には、例えば面識のある相手からのそうした行為については、特に暴行、脅迫を用いなく、しかも巧妙に意思の自由を奪うことは可能であると。準強姦罪創設、強姦罪創設の背景には、暴行、脅迫という手段によらず、その他の手段を用いた場合でも被害者の任意の承諾なき姦淫は許されないという理念があった。これは準強姦創設のことでございます。
午後に一時間、また時間をいただいておりますので、午後から具体論に入ってまいりたいと思います。一旦終わります。
○井出委員 午前に引き続き、時間をいただきましてありがとうございます。
午前中の質疑で、強姦それから準強姦の罰すべきその本質は不同意、不承諾の行為である、そこにその証左として暴行、脅迫ですとかいろいろな構成要件が来ていると。最後に付言しましたのは、その不同意、不承諾の一連の行為というものは、面識のない者より面識のある者同士の方が、外形上見えない形で、暴行、脅迫とかそういうものがなくても不同意、不承諾というものが鮮明化しない中で性犯罪が行われることが起こりやすいと。ある本の一節を紹介させていただきました。
そこで、まず、きょうお配りをしている資料、新聞でございますが、きょうだいの兄が加害者、妹が被害者になってしまった事例を御紹介します。
「許さない:性暴力の現場で」「兄からの虐待逃げ得…納得できない」、二〇一六年十二月三日、毎日新聞地方版、群馬県内版の連載の第四回目でございます。
少し御紹介します。
うそでしょうと母は言い放った。兄を訴えたい、許せない、裁判で罪を償ってほしい、そう願ったが、親から反対され、警察には届けなかった。
ナツキさん、仮名は、小学生のころの記憶がほとんどない。五歳上の兄のわいせつ行為が始まったのは小学校に入ってすぐのころだった。
中学一年の冬、学校で警察官による防犯講話が開かれた。警察の言葉に、初めて兄の行為が強姦という犯罪だと知った。
ねえ、何でそんなことするの、その日の夜、思い切って兄に聞いた。返ってきたのは、何となくの一言。何となく。頭が真っ白になった。はらわたが煮えくり返る。私の人生を壊しておいて、何となくって何なの。
翌日、学校のスクールカウンセラーのところに駆け込んだ。すぐに担任教諭と教頭が加わり、家庭に連絡が入った。駆けつけた母親は、娘の顔を見るなりこう言い放った。うそでしょう、お兄ちゃんがそんなことするはずない。親戚宅を経て、県内の児童養護施設に移った。
親族の冠婚葬祭には極力出席しない。兄と顔を合わせたくないからだ。兄は普通に就職し、恋人がいる。あのときの母の心情を思えば、息子を犯罪者にしたくなかったのだろう。でも、納得はできない。
記事をかいつまんで、ストーリーを御紹介しました。この記事では、こうしたきょうだいの加害者、被害者の問題、今回改正項目の中に盛り込まれております十八歳未満の子供に対する監護者の性暴力の罰則が親子の間にとどまる、きょうだいの間、きょうだいというものは含まないということになったという問題提起をされております。
この記事は、このナツキさんという仮名の方が、小学生のころの記憶がほとんどない、五歳上のお兄さんのわいせつ行為だと。そうしますと、お兄さんは中学生ぐらいからそういうことをしていたのかなと推測されるわけです。そういうことを考えますと、先ほど山尾委員が指摘をされました、被害者が幼いときの時効というものをどう考えるかということもこの事例で考えることができるかと思います。
私がきょうこの事例でまず伺いたいのは、きょうだいでそういうことがあったときに、親が事を荒立てたくない、その結果、被害者が大きな傷を負うことがある。このケースは、家族とその後離れて、きょうだいは離れて暮らしておるようですが、場合によっては、きょうだいですから、離れたくても離れられないようなケースもあるかもしれません。私自身、こういったものはそもそも把握や対策というものが難しい、それを承知の上で、一体行政機関においてどういう把握また把握の仕方があるのか、その取り組みについて伺いたいと思います。
一応、通告は法務、文科、厚労とお願いをしているんですが、法務省は何かございますか。なければ、あるところから。では、お願いいたします。
○山本政府参考人 お答え申し上げます。
きょうだい間で子供に対し性暴力が行われているにもかかわらず、保護者がそれを放置している場合は、児童虐待の一類型であるネグレクトに該当すると考えてございます。(←この答弁には、性暴力被害当事者のいる傍聴席から、不満の声が聞こえた)
ネグレクトの件数は児童相談所における虐待相談対応件数の内容別件数として把握しているところでございますが、きょうだい間の性暴力など、その細目の内訳の件数については現時点では十分な把握ができておりません。
被害者が子供であるきょうだい間の性暴力のうち、児童相談所が関与しているケースについては児童相談所が把握しており、国として性暴力事案についてどのような形で把握することが適当か、児童相談所や関係者の御意見も伺いながら検討していきたいと考えております。(←実態を把握することの難しさを率直に答弁してもらった。ただ、兄弟間の性暴力を親が放置することが、児童虐待のネグレクトという分類である点は大きな疑問)
○神山政府参考人 お答え申し上げます。
特にきょうだい間の性暴力に限定したものではございませんが、性暴力被害者のケアや加害者の更生のための取り組みは大変重要なものであるという認識でございます。
このため、文部科学省におきまして、性暴力被害者のケアにつきましては、まず学校におきまして日常の生徒指導や健康観察などを通じて児童生徒の問題を早期に発見するようにしていますとともに、養護教諭、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどの教職員が被害を把握した場合には、児童相談所を初めとする関係機関と連携して対応することとしております。
加害者の更生につきましては、文部科学省として特にこれに直接の取り組みは行っておりませんが、再犯を防止するという観点から、例えば加害者のうち希望する者に対しまして学び直しを支援するためにその機会の提供を行っているところでございます。
今後とも、性暴力被害者のケアに取り組みますとともに、再犯の防止につきましても、関係省庁と連携し、取り組みを行ってまいりたいと考えてございます。
○井出委員 法務省は、特に何か、もしあれば。なければ、ないでも結構ですが。
○林政府参考人 法務省としましては、きょうだい間の性暴力等について、具体的な事案をどのようにつかむかという観点ではなくて、本法案の立案の過程で、きょうだい間の性暴力についてどのような実態に触れたかということでお答えいたします。
法務省においては、性犯罪の罰則に関する検討会とか法制審議会の議論の参考とするために、地位、関係性を利用した性的行為の起訴事例というものを調査しました。
その中には、実の親子間あるいは養親子間の事案のほかに、きょうだい間、兄妹等の事案についてがございました。兄について、強姦罪や児童福祉法違反の罪で起訴された事例もございました。
また、きょうだい間、兄妹間の性暴力の実態につきましては、法制審議会の部会の中で行われたヒアリングにおきましても、兄と父親による性暴力の被害者であって、近親姦虐待被害当事者のための自助グループの活動をしている方から、兄妹間の性暴力の実態等について御意見をお聞きしたところでございます。
その際、お聞きした方からは次のような意見が述べられておりました。「誰かに気づいて助け出してほしい気持ちと同時に、世間にばれることで自分や家族がその先どうなるか不安で、誰にも怖くて言えなかった。加害者になる前の、大好きであった父や兄が処罰されるということについても抵抗があった。被害者も加害者も社会全体も性被害に遭うことを恥と認識しており、この認識を変えることで被害を訴えやすい社会になると思う。子供は助けを求めたり何らかのサインを発信しているが、それをキャッチしたり安全に介入できるような知識や経験のある人たちにつながらなければ見過ごされ、状態を悪化させ、結果的に諦めてしまう」
こういったような意見が述べられていたところでございます。(←法務省が紹介した当事者の声も、大変考えさせられる内容だった)
○井出委員 このきょうだい間の事案というもの、この新聞の事例ですと、きょうだい間の強姦という話でありますので、れっきとした犯罪であると思います。また、子供同士の、性非行という言葉がふさわしいのかどうかわかりませんが、いろいろなケースも想定されます。
あくまでこれは一般論なんですが、犯罪の被害に遭われた方というのは、加害者に対するきちっと処罰をしてほしいという感情と、それともう一つ、犯罪被害者の思いとして、どうしてそういうことをしたのか、真相究明。当然、犯罪というものは加害者に責任がありますので、謝罪して許されるということではございませんが、謝罪を求められる被害者の方もいらっしゃいます。新聞記事は、このお兄さんは本人から直接聞かれたときに何となくと答えていると。(←きょうだい間の事件や、子供同士の性非行を家族や学校がうやむやにしてしまうと、被害者の真相究明や謝罪を求める気持ちに蓋をしてしまう。また、加害者にとっても、なんとなく許された感が出てしまう。やってしまったことと真摯に向き合い、反省、謝罪する機会もなくなってしまうのではないか。問題が起こっても、こうしたことに、残念ながら、現状では、なかなか立ち入ることができないというのであれば、こうしたことが起こらないように、事前の教育というものが大切であり、次の性教育の質問に)
今、各省からそれぞれ話を伺いまして、私自身もこれは物すごく表面化しにくい類型の話なのかなと思っております。こうしたものをどうしていくべきかということで、一つ、きょうは性教育の話について取り上げたい。
性教育は、男性、女性の身体的な発達の経過を教科書で紹介する。それから、高校生の教科書では例えば結婚生活とか家庭生活とかいったものも紹介されております。
その一方で、ならぬものはならぬ、こういうことをしてはいけないというような記載は余りというかほとんど見当たりませんし、あと、そもそも、私は本会議のときにも申し上げたのですが、男性と女性が初めて性交渉を持つような年代というものもどんどん低年齢化していると言われている。そういうときに一番しっかり教えなければいけないのは、本会議でも触れましたが、やはり両者の同意である。それも、単に興味本位で、うん、いいよという話ではなくて、一体それがどういうことで、どういう結果をもたらすか、それに責任を持てるか。うなずくのも、嫌だと言うのも自分に委ねられている。そういったことも含めて、その内容を理解し、対等性があり、強制性がなく、そういった真の意味での同意というものを教えるべきではないか。
小学生のときからそれを教えるかどうかは大変議論もあるかと思いますが、少なくとも高校生には教えておく必要があると思います。中学生だって場合によっては教える必要が、全ての子に教える必要があるかどうかはわかりませんが、そういうことも検討すべきではないか。そこで、どうしてそういった同意についての記載というものがないのか、その点についてまず伺いたいと思います。
○瀧本政府参考人 お答え申し上げます。
学校における性に関する指導は、学習指導要領に基づき、「児童生徒が性に関して正しく理解し」、「適切に行動をとれるようにすること」を目的に実施されております。具体的には、体育科、保健体育科、特別活動を初めとして、学校教育活動全体を通じて指導することとしております。また、指導に当たりましては、委員からも今御指摘がありましたとおり、発達段階を踏まえること、あるいは学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることに配慮するとともに、個々の児童生徒間で発達の差異が大きいことから、集団で一律に指導する内容と、個々の児童生徒の抱える問題に応じ個別に指導する内容を区別して指導することとしています。
こうしたことを踏まえまして、中学校や高等学校の保健体育科の学習指導要領におきましては、成熟に伴う変化に対応した適切な行動が必要となることとしており、指導要領の解説において、「自分の行動への責任感」や「異性への尊重」など、性に関する適切な態度や行動の選択が必要となることを理解できるようにしているところであります。
また、御指摘のとおり、直接に同意ということについては明記をしておりませんが、性に関する教育に当たりましては、例えば道徳における、異性の特性の違いをきちんと受けとめ、相手の人格をとうとぶ姿勢を育成すること、あるいは特別活動において、男女相互の理解と協力の指導に関連して、性に関する指導との関連を図った指導を工夫することといったものも行っておりまして、学校教育活動全体を通じた性に関する指導の充実に努めているところでございます。文科省としては、引き続き、こうした点についての指導について努力をしていきたいと思います。以上であります。
○井出委員 今、いろいろお話をいただきました。
少し私からも御紹介をさせていただきますと、例えば中学校の教科書、東京書籍の「新編 新しい保健体育」。ここには「異性の尊重と性情報への対処」という項目がありまして、一時的な感情に流されちゃいけない、自分の気持ちや行動をコントロールして、お互いの心や体を大切にすることが必要ですというような記述があります。これなどはまだ、同意とは書いていないんですが、そう解釈もできなくないかなと。
それから、高校で広く使われていると言われている大修館書店の「現代高等保健体育」。男女の人間関係は、何よりも人間として対等で平等な関係を前提として成り立つ。このあたりは、多少、その後、先生が補足していただけば、そうした同意というものにつながっていくのかなと思うんですが。
いかんせん、高校や中学の学習指導要領を見ますと、お話があったように、相互の理解ですとか、尊重、責任感ですとか、正しく理解する、適切に行動するというものが中学校も高校も至るところに出てくるんですが、男女間の同意であるとか、そういう具体のことは出てこない。正しく理解とか、相互の理解とか、尊重、責任感という言葉で同意というものを読み込め、そういうことなのでしょうか。
○瀧本政府参考人 お答え申し上げます。
委員から御指摘のあった保健体育科を中心にいたします指導においては、性教育の文脈においての異性の尊重という点が学習指導要領の解説で行われており、それを具現化する教科書においても今紹介いただいたような記述があるところでございますが、これに加えて、先ほど申し上げたとおり、特別活動において男女相互の理解と協力の指導という一般論としての指導のところがございますが、ここであえて指導要領の解説においては、性に関する指導との関連を図るようにと。
このことは、道徳科におきます、異性の特性の違いをきちんと受けとめ、相手の人格をとうとぶ姿勢を育成する、ここにつきましてもあえて、保健体育科における性に関する指導との関連を生かした指導の工夫をということで望んでいるところでございまして、保健体育科を中心としつつも、学校におきます性に関する指導は、道徳であったり、特別活動であったり、さまざまな分野の教育活動を通じて全体として行われているところでございます。こうした中で、先生のおっしゃるような趣旨も含めて指導を行っていると考えております。以上であります。(←性教育は保健体育に止まらず、道徳や特別活動でも触れているから大丈夫というような答弁なのだが、保健体育も、道徳も、特別活動も、内容的にはあまり変わらない。そこで、中学の道徳教科書を持ち出して再度質問)
○井出委員 教科書が大変何か抽象的で、前向きと言えばいいかもしれませんが、オブラートに包んだ表現であっても、先生の中にはきちっと説明される方もいるかもしれません。また、いないかもしれませんので、一概に現状の性教育がいいとかだめだとか、そういうことを申し上げることはなかなか難しいと思うんです。
道徳の教科書、たまたま私は三年ぐらい前に文部科学委員会におりましたので、「私たちの道徳」という中学校の教科書、そこにもきちっと「異性を理解し尊重して」という項目があります。好きな異性がいるのは自然のこと、あしたを生きるエネルギーにできたらいいと思う。それは私もそう思います。だけれども、二人だけの殻にこもってしまうと周りが見えなくなって、人間としての幅を狭めてしまうかもしれない。考えてみよう、男女交際のあり方を。あとは何かメモ書きみたいなものがあって、好きに考えてくれ、あとは先生次第というような形です。
子供同士の話がなかなか表面化しにくいということは先ほど申し上げたとおりです。被害に遭うか遭わないかというのはその二人の関係もありますので一概に言えないんですが、やはり断るべきときは断る、断られたときはそれはだめなものだと認識する、そういうことを含めても、やはり性教育のあり方を少し考えていかなければいけない。
もっと言えば、性教育は、小学校も中学校も高校も、まず男性と女性の人体の解説図から始まるわけですね。授業は四十五分、五十分が一こまで、何回やるのかちょっと詳細には存じていませんが。その最後の方にそういう心の部分、それも、尊重するとか、相互に理解するとか。よく歴史の授業が最後まで行かないじゃないかというようなことを従前から言われておりますが、果たして、心の男女間の尊重ですとか平等ですとか、そういうところまで指導が行っているのかというところも大変疑問です。
今回の法改正は、先ほど山尾委員もおっしゃいましたし、私も午前中申し上げましたが、法律の改正だけで全てが解決する問題では到底ございません。子供間の問題は、厚労省、文科省、法務省にお聞きしましたが、全部すぐに一〇〇%行政がきちっと対応することがかなり難しい問題であるということはおわかりいただけたかと思います。
必要なのは、性犯罪に対する理解というものを今回の法案審議をきっかけに世の中に問題提起したい。それにはやはり当事者がここでしゃべっていただくことも私は必要だったと思います。性教育については、本会議でも申し上げましたが、今回の法改正を高校だったらストレートに法改正があったと教えてもいいかもしれませんし、それは伝え方はあるかと思いますが、今回の法改正の趣旨、それは世の中のいろいろな声があって、百十年間の積み重ね、遅きに失したと思いますが、ここに至っているわけですから、このことをぜひ教育の分野できちっと周知していただく。
周知の仕方は私の方からきちっとは求めませんが、文科省の方で検討されて、やはり年齢の高いところから考えていくとしても、高校、中学あたりにはこのことをきちっと、通知、通達というものを出していただきたいと改めてお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。(←今回の法改正を、性暴力などについて社会全体で考える機会とするべきというのは、この法案の質疑を準備する中でずっと思ってきた、強い思い)
○瀧本政府参考人 お答え申し上げます。今回の改正法にかかわりまして、その内容の周知、あるいはその中でとりわけ児童生徒としても理解しておくべき点、ないしは教職員がきちんと理解しておくべき点、例えば、性暴力に遭った高校生や中学生が当然い得るわけですから、そういう点で教職員はより深くきちんと理解しておく必要があるのだろうと思っておりますので、今御提案のございました通達、通知を発出することの検討を含めまして、文科省としては引き続き学校における性に関する指導の充実に努めてまいりたい
と考えております。
○井出委員 刑法の改正という長年なかったことの契機でございますので、何としても通知、通達というものを強く検討を求めたいと思います。(←本当は性教育について、法改正の付帯決議か何かに、私の趣旨を明文化したかったが、性教育については、特に自民党では議論がタブーというか、大変な困難が予想され、到底同意には至らないということで、やむなく、質疑の中で直接政府見解を正すのみに留めた。答弁は、一定の評価ができるものだった)
次の話題に行きたいと思います。
きょう採決が予定されておりますが、昨日、少しその修正というものを御提案、協議をさせていただきました。また、修正に至らなかったところについては、附帯決議というものも各党間で御相談をさせていただきました。後ほど提案をさせていただきます。
そのことを前提に少しお話をしたいのですが、今回、大変さまざまな御意見、ここを改正してほしい、ここを改正してほしい、見直し規定は入れてほしい、こういうものは附帯決議に入れてほしいというような御意見をいただいております。その中で、やはり今回の改正にとどまらず、落ちた論点もございますので、見直し規定を入れてほしいというお話がありました。
そこで、この法改正をきっかけに、この法律案の附則に、三年後を目途として、性犯罪における被害の実情、法律による改正後の規定の施行の状況等を勘案し、性犯罪に係る事案の実態に即した対処を行うための施策のあり方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする規定を追加しよう、そういう修正を考えております。
今、早口で言って、何を言っているかわからないということになってしまってはいけないので、御提案させていただいた趣旨をここで明確にしておきます。
この見直し規定の趣旨は、性犯罪に対処するための施策の全体的なものを、この法律が施行されてから政府に対し検討を求めていくものだ。その施策全般とは一体何か。事案の実態に即した対処を行うための施策として、一つは処罰規定の整備、議論のありました構成要件の見直し、監護者わいせつ罪の主体の拡大、性交同意年齢の引き上げ、暴行、脅迫要件の緩和など、今回、法制審、その前の検討会からいろいろな御意見があった中で成案が得られなかったものについて引き続き議論をしていただきたい。それから、公訴時効の停止というものも引き続き議論をしていただくべきだと思いますし、法律のみならず、性犯罪被害者の支援策、これまでの質問の中に出てまいりましたワンストップセンター、司法面接、与党の先生からもお話がありました二次被害をなくすように、いわゆるレイプシールドといった考え方。そういうあらゆる施策を引き続き検討していくという趣旨を込めて、今回この修正案を御提案させていただいております。当然、刑事局長、大臣におかれましてはその趣旨を御理解いただいていると思いますが、改めて今申し上げたことについて答弁をいただきたいと思います。
○林政府参考人 今回の法務省としての本法案の提出に当たりましては、これまで申し上げましたように、検討会あるいは法制審議会の過程でかなりさまざまな御意見というものを伺って検討してまいりました。その中で、やはり今回法改正に至ったものと至らなかった論点というものがございますけれども、いずれにしましても、問題の所在あるいは改正の方向というようなものについては、真摯にそれを受けとめて検討してきたものでございます。ある意味改正の方向性のベクトルについては基本的に同じような立場に立ちながら、さらにどこまでそれを実現するかというような形で、今回一応の結論を出させていただいたわけでございます。
そういった意味におきましては、本法案の内容につきまして、さらにこの施行状況を検討して、もう一度その制度について見直しをするということについては、十分に真摯に受けとめて、適切な検討を行っていきたいと考えております。
○金田国務大臣 ただいま井出委員からお話がございました。
私どもの刑事局長から申し上げたとおりでありますが、今回の法案の提出に当たりましては、さまざまな観点からの御要望や御意見をお出しいただき、それを踏まえて、法制審議会での審議も経て、十分に検討を行ってきたものとは認識をいたしております。
しかしながら、本法案の内容がそれで十分で、さらに課題となるものはないのかという話になりますと、その後もさまざまな指摘をいただいているとおりであります。したがって、今後また引き続いて、修正の趣旨やあるいは附帯決議の趣旨というものを踏まえながら、そして必要な議論をいただいたことを踏まえながら検討を続けていくということになるんだろう、こういうふうに考えております。(←政府案に、3年後の見直し規定を追加する修正案を提案したが、検討の中身を質疑で具体化しておこうとした質問。大臣は答弁で、「法案の内容が十分で課題がないかというと、その後も様々な指摘をいただいている」と今後の見直しの必要性を率直に認める)
○井出委員 この見直し規定を御提案させていただくに当たりまして、刑法の見直しを断続的にやっていくということが刑法の法律の安定性から見てどうか、そういう御意見もありまして、私も昨晩、質問をつくりながら考えました。
しかし、大臣、聞いていただきたいんですが、きょうの冒頭の質疑で、旧刑法から刑法をつくるまで、強姦の構成要件に暴行、脅迫という文言は最初は旧刑法にはなかった、それからそれが出てきた、準強姦ができた、そして、準強姦と強姦が一体となった文案が検討された時期も明治三十三年にありました。そういう紆余曲折を経て現行の刑法の構成要件というものができております。
ですから、刑法を、百十年ぶりの改正ですから、これは物すごく歴史的な改正で、これは一回変えたら百年、二百年にわたって普遍的なものでなければいけないというようなことも最初は頭をかすめておりましたが、旧刑法から刑法に至るまでのいきさつを見ますれば、やはり適宜適切なものを追求していくというための検討というものは当然できるべきだし、過去の歴史においてはそれをやっていますので、そのことについてはぜひお願いしたいと思います。
答弁いただいてもいいですか、もう一回。さっきいただいたんですけれども。
○金田国務大臣 井出委員のただいまの御指摘に対しましては先ほど申し上げたとおりでありますし、ただいまおっしゃっていることも私は理解しているつもりであります。
○井出委員 それからもう一つ。
附帯決議も幾つかお願いをさせていただくことを予定しておりますが、大方、今回は与党の先生方から御提案いただきまして、その中身も深く御検討いただいたものと評価をさせていただいております。
その中で、「事件の、性犯罪の起訴、不起訴の処分を行うに当たって、被害者の心情に配慮するとともに、必要に応じてその処分の理由等について丁寧な説明に努める」、被害者の側に立って説明責任をしていこう、そういう趣旨のものも提案を予定しておるのですが、先日私が本会議で国家公安委員長に尋ねた件について、きょうは政府参考人ですが、伺いたいと思います。(←本会議で取り上げた、ある事件。本会議の国家公安委員長の答弁があまりにもひどかったので、その答弁の酷さを質そうと、以下の質問に)
国家公安委員会の役割というものは、私が承知しておりますところ、警察行政の政治的中立性の確保、警察運営の独善化の防止。この警察運営の独善化の防止について、具体的に国家公安委員会というものはどのような取り組みをされているのか、教えてください。
○髙木政府参考人 国家公安委員会は、国民の良識を代表する民主的管理機関としまして、警察行政の民主的運営と政治的中立性を確保するために警察庁を管理するという役割を担っております。
具体的には、国家公安委員会は大綱方針を定めまして、警察庁はそれに即して事務を行うということとされておりまして、各種の報告等を受けた上で大綱方針を定める、こういった活動をしているところでございます。(←大綱は、警察からの各種、報告によってできるというのがポイント)
○井出委員 国家公安委員会と、また都道府県単位でもそれに準ずる組織があるかと思いますが、大綱を定めて、恐らく全国の警察が均一にと申しますか適正に仕事ができるようにという観点かと思いますが、警察に対して指導をしたり、調査をしたり。国家公安委員会というものは、今おっしゃったように警察から離れた有識的な方がなられると思いますが、その有識者、第三者的な立場を発揮して調査、指導をするというような業務はあるのか、教えてください。
○髙木政府参考人 国家公安委員会ないし都道府県公安委員会は、それぞれ、国家公安委員会については警察庁、都道府県公安委員会については都道府県警察でございますけれども、そういった警察の執行組織を管理する機関ということでございまして、所要の報告等を警察機関から申し上げますし、国家公安委員会ないし都道府県公安委員会からは、必要な報告を求めて、その上で管理を行う、そういった業務を行っているところでございます。(←公安委員会は警察を管理しているが、ここも警察からの報告が主な業務というのがポイント)
○井出委員 報告を求めるというお話がございました。
六月二日の国家公安委員長の答弁、私がある事件について尋ねたものでございますが、その事件について「告訴を受理し、法と証拠に基づき必要な捜査を遂げた上で、関係書類及び証拠物を東京地方検察庁に送付したものであり、また、送付を受けた検察庁においても必要な捜査が行われたものと承知しています」と。
この「承知」というものは、報告を受けたのであって、必要な捜査を遂げたものを国家公安委員会がみずからお調べになって認識したということではございません、そういうことでよろしいですか。
○髙木政府参考人 お尋ねの件につきましては、警察庁から国家公安委員会委員長に対しまして国会で御答弁申し上げるに際しまして事案の概要等を報告申し上げた、こういった趣旨でございます。
○井出委員 報告があったと。
その後、警視庁において、必要な捜査が尽くされ、また、検察庁で不起訴処分となっていることなども踏まえ、検証を行うことは考えておりませんと。この必要な捜査が尽くされたという点は、警視庁、警察庁の報告をもとに必要な捜査が尽くされていると認識されているのか。それでよろしいですか。
○髙木政府参考人 お尋ねの件につきましては、警視庁におきまして、告訴を受理し、法と証拠に基づいて必要な捜査を遂げた上で、関係書類及び証拠物を東京地方検察庁に送付したものでありまして、また、送付を受けた検察庁においても必要な捜査が行われたものというふうに承知しておりますが、そのような旨、警視庁から警察庁に対しまして報告をいただき、警察庁から国家公安委員会委員長にも報告を申し上げた、こういったことでございます。(←私からの本会議質問に応えるために、事件の報告を受けたと。それも、「必要な捜査を遂げた」「必要な捜査が行われた」というのは全て警察からの報告であり、国家公安委員長が主体的に認定したものではない。要は、報告を受けるだけ)
○井出委員 全て警察庁、警視庁からの報告ベースであると。それから、最後に、「そうしたことを踏まえ、検証を行うことは考えておりません」と。そもそも国家公安委員会は、あと都道府県の公安委員会は、個別の事件について検証を行う権限があるのかないのか、伺いたいと思います。
○髙木政府参考人 検証の権限ということになるといろいろな場合があると思いますので、一概に申し上げることは難しいところでございますけれども、基本的な制度の仕組みといたしましては、公安委員会は、大綱方針を定めて警察機関を管理する、こういった役割を担っているものというふうに認識しております。
○井出委員 基本的には報告を受けることが主な業務であって、この事件を離れて、これまで、例えば冤罪事件ですとかいろいろな事件について検証といったものが捜査機関において行われてきた、それは検察庁であったり、警察庁であったり、各都道府県警であったりもするかと思うんですが、国家公安委員会がそういう検証をしたというものは私は聞いたことがございませんし、そういうことは恐らくされていないから今のような少しまろやかな答弁になっているのかなと思います。
そうしますと、検証を行うことを考えておりませんというのは、検証する必要があるなし以前にそもそも国家公安委員会は検証する立場にない、そういうことをこの答弁でおっしゃったんじゃないですか。
○髙木政府参考人 警察庁の方からの報告を受けて、国家公安委員会委員長としてもそのように御判断された、こういったことかと考えております。(←国家公安委員長としてもそのようにご判断されたというが、単に報告を追認しただけ。ここはさらに問い詰めた方が良かったかも)
○井出委員 先ほど冒頭に申し上げましたが、警察運営の独善化の防止でありますとか、その下へ行けば、警察庁の民主的な管理ですとか、そういったことも役割として入っているようではございますが、その実態、事実上というところはきょうの御答弁のとおりなのではないかと思います。(←公安委員会には、警察の業務を独自で調べる権限はない。これでどうやって、警察行政の政治的中立性の確保、警察運営の独善化の防止を果たすことができるのか)
この事件は、私は細かく踏み込んで取り上げてはおりませんが、少なくとも検察審査会への申し立てがされている、それは、本会議でも申し上げましたが、公正な捜査を尽くしてほしいと。被害を訴える方からすれば当然の心理である。
検察審査会について伺いますが、検察審査会というものは、私の理解ですと、最初になされた捜査、不起訴となった捜査の中身をもう一度調べるところであって、捜査のプロセスとか公正さとか、誰がどう判断したとか、そういうものを調べるところではないと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
○林政府参考人 検察審査会制度は、一般の国民の中から無作為に抽出して選任された十一名で構成される検察審査会が検察官の不起訴処分の当否を審査することを通じて、検察官が行う公訴権の実行に民意すなわち一般国民の感覚を反映させてその適正を図ることを目的としているわけでございます。
その審査の対象というのは検察官の不起訴処分の当否でございまして、その審査に必要な部分について検察審査会が審議、検討を行うということになると思います。
○井出委員 当否というのは私が申し上げたようにやはり証拠関係ですとか事件の中身そのものの検討だと思いますが、では、捜査の体制がどうだったとか、誰がどう判断したとかというのも、当否に影響するようであれば検察審査会も当然調べるということですか。
○林政府参考人 検察官の不起訴処分というものは、証拠関係がどのようになっていたのか、それについてその検察官の不起訴処分が当を得たものであったかどうかを審査するわけでございまして、そういった場合に、証拠の収集過程とかいったことが検察官の不起訴処分の当否を審査することに影響があるのであれば、そういったことについては検討されることとなります。ということで、やはり、不起訴処分の当否を審査するに必要な範囲で審議し、検討されるということだと考えます。
○井出委員 不起訴処分の当否を判断する上で、捜査の判断のいきさつとか体制とか、そういうものも必要であれば検討の対象になり得るか、そこが必要かどうかはやってみなきゃわからぬということだと思います。でも、きょうは恐らくそういうものは検察審査会の対象には一〇〇%なり得ないと思って質問に立っておりましたので、その可能性がわずかでもあるのであれば、国家公安委員会、警察の方でこの検証をするつもりがないというお話があることは大変遺憾ですが、まだ検察審査会の状況を見守りたいと思います。(←ここは、答弁を読み返してみると完全にゼロ回答。質疑直後は、多少の含みがある答弁に聞こえたが、やはり検察審査会は、事件の中身を再調査し、捜査のあり方を調べるものではない。そうなると、公安委員会は完全に頼りにならないし、警察が検証する以外にないのだが、検証はしない。おそらく、この事件が不起訴不当と検察審査会から言われて起訴されて、裁判が開かれない限りは、真相が解明されることはないだろう。検察審査会の事件に対する結論が待たれる)
それと、本会議でもこれは触れさせていただきました。あと、先ほど二次被害という話も午前からございました。性犯罪の被害を訴えられる方。まさに今回のように、事件の中身というものは、いろいろ報道されておりますが、検察審査会に付されておりますので私は申し上げませんが、ただ、被害を訴えられている方がいる。これは今回の事件に限らずいらっしゃると思います。そうした方に対する例えば容姿ですとか過去の経歴ですとかいったことに対する批判というもの、私は本会議でも、そういうことはやはりあってはならないし、支援というものは社会を挙げて取り組むべきだと申し上げました。
恐らくその答弁を人権局長がしていただくということでよろしいんでしょうか。済みません、参考人はいつも一任しておりますので。そうであれば、人権局長から答弁を求めたいと思います。
○萩本政府参考人 個別の事案を離れて、あくまで人権擁護の観点から一般論として申し上げることになりますけれども、犯罪被害者は、性犯罪に限りませんけれども、犯罪そのものが人権侵害の最たるものの一つということになりますし、その被害あるいはその被害の後遺症で苦しんでいるところに追い打ちをかけるように、今委員御指摘のとおり、二次的な被害による重大な人権問題が現に起きているという認識でおります。ですから、そのような人権問題にもしっかり対処していかなければいけないという認識でおります。
○井出委員 一般論でお話をいただきまして、冒頭に、「報道等を承知しておりますが」と言ってくれればなおよかったのですが、そこまではきょうは求めません。(←性被害を公で訴えた人が、被害内容の真偽ではなく、容姿など、事件と無関係の批判を受ける社会というものを正すことができなければ、性犯罪の被害が訴えにくい状況や、「やられたあなたが悪い」というような、強姦神話と呼ばれる偏見は無くならない。そうした偏見を無くすべきだというのが、今回の法改正に向けて活動してきた被害当事者たちの切なる願い)
もう間もなく時間になると思いますので、このまま審議が終わってしまうのは大変残念ではございますが、また、修正案が見直し規定にとどまったというところも、私自身は大変力不足を実感しております。
この法務委員会は共謀罪等いろいろございまして、私も法務委員会で今まで三年ほどやってきた中でいろいろな紆余曲折がありました。私自身も、例えば強行採決でまさか委員長の横に行くなんということは思ってもおりませんでした。度が過ぎたなと反省しなければいけないところもあるかと思います。
しかし、きょうの性犯罪の、性に対する理解というところで、道徳の中学生の教科書を読んでおりましたら、フランスの啓蒙思想家ボルテールの言葉がございました。
「互いの知識を持ち寄り、互いに許し合わなければならない、たった一人の者が見解を異にしたとしても、この者を大目に見なければならない」
その下に、アンドレ・ジッド、フランスの小説家の言葉。
「一つの立場を選んではならぬ、一つの思想を選んではならぬ、選べば君はその視座からしか人生を眺められなくなる」
私も反省するべきところはあるということはさきに申し上げました。これからの法務委員会の運営、国会の運営にこの言葉を一言添えまして、私の質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。