この一年、自分にあったことを振り返ると、やはり、11月26日衆議院本会議で、特定秘密保護法へ造反したことが一番大きなできごとだった。
ほかにも、訪中、結いの党立ち上げ、みんなの党離党、福島第一原発視察、竜巻被災地視察、参議院議員選挙、2度の東北被災地視察、初めての本会議質問、インターネット選挙解禁やいじめ防止対策推進法へ関わったこと、普天間基地など沖縄視察、文部科学委員会で初質問など、いろいろなことがあった。
なぜ、特定秘密保護法案が一番の思い出になったのかと考えると、それは、時間をかけて準備と議論をしてきたからだろう。
今年の夏には、秋の国会で特定秘密保護法案が議題に上がると感じて、準備を始めた。当初は、質問に立つこと、自分の意見を委員会や国会で表明することが目的だった。国会が近づくにつれて、みんなの党の中で一番関心が高かったこともあって、党内で特定秘密保護法案を担当することになった。
党内の多くの議員にこの法案についての所見をきいてまわり、慎重派が多いことを確かめ、「政策通のみんなの党」らしい対案を出そうと思った。国の秘密を守ることは「一人前の国家」なら必要なことだが、「一人前の民主国家」を目指し、「国家の秘密」と「国民の知る権利」という難しいバランスをきちんと取れるようにしようと思った。単に他の国と同じような法案を作るのではなく、他の国がまねしたくなるような、真の民主主義国家にふさわしい法案にしようと思った。
残念ながら党の結論は、私や、法案に慎重だった多くの議員の思いとは反対の方向にいってしまった。衆議院本会議採決の段階で上がってきた法案の内容には納得できず、また、法案担当者として、法案に慎重だった党内議員への責任も感じ、反対・造反することにした。
衆議院議員当選直後の一年前、「小さな党の一年生議員でも、世の中の人が『そうだ!』と共感してくれる活動ができれば、国会議員としての仕事はできる」と様々な場所で話してきたが、この一年でひとつだけあげるとすれば、特定秘密保護法案だったと思う。
衆議院本会議の採決から参議院での審議・採決にかけて、世論も国会内でも慎重意見が声高に上がるようになった。まだまだ不十分だが、修正ポイントがより具体的に出てきたことは、今後につながるだろう。いや、必ず、今年の議論を来年につなげて、改善を図っていかなければいけない。
造反を決めたのは本会議の一週間ほど前だったが、振り返ると、夏からの準備が、反対表明への道だったのではないかと思う。夏から法案に関心をもって準備をし、法案担当者として党内でも意見を提起してきた。そのひとつひとつの積み重ねが、苦悩を振り払い、決断を後押ししたと思う。この法案に費やしてきた時間が他の人より長かった分、思い入れが強かった。
国政は、来年も様々な課題があり、私自身の政治活動も、これまで以上に困難な道のりとなるだろう。私の予想があてにならないことは私自身が一番良く分かっているが、自分のできることを見定めて、ひとつひとつのことに対し、できるだけ時間をかけて、準備をしていきたい。
この一年、御支え頂いた全ての皆様に感謝申し上げます。来年もご指導ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。良いお年をお迎え下さい。
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