先月、何人かの公務員や元公務員と話す機会に恵まれた。
市町村の役場職員と話をして「公金」という言葉を思い出した。
ある元職員がつとめていた町は、平成の大合併で隣村と一緒になった。
合併する町と村は合併後の予算編成を見据え、
それぞれどれだけの基金、つまり貯金を持ちよれるか事前に話をしたという。
ところが合併してみたら、
村のほうが、持ってくるはずの基金を半分ぐらいしかもってこなかった。
合併前に、「使えるものは使ってしまおう」と使ってしまったらしい。
予算は、政治家や行政の金ではない。住民から集めた「公金」だ。
さて、野田総理は消費増税をなんとしても成し遂げたいようだ。
日本の将来を考えて「不退転の決意でのぞむ」と言われれば
「そうなのか」と思わないこともない。
だが、すでにさらなる増税の可能性が報道されている。
3月10日信濃毎日新聞1面によると、
「消費税を10%に上げたあともさらに増税が必要だ」という付則を
10パーセント法案に明記するという。
増税をする前から次の増税が必要だといわれると、
国の財政に危機感をもっている国民でも納得できない。
「やるやる」といってきた天下り根絶に手をつけない。
政治家と官僚の歳費を削らないようでは、
国民のためにではなく、政治家や官僚が自分たちの権利を守るために、
いまの仕組みを維持するために増税するようにしか見えない。
復興のために支出が増えるのだから、
いままで以上に削れるところは削るのが筋ではないか。
橋下大阪市長が次々と改革を打ち出しても評価されるのは
改革の1つに予算の削減、
行政運営を身の丈にあったものにしようという姿勢を見せているからだと思う。
国民に痛みを求めるのであれば、政治家や官僚も痛みを共有するべきだ。
自分たちさえ良ければいいのか ?
いまさえ良ければいいのか?
「子どもや孫が大きくなった時の日本が心配だ」という
国民の声に応える気のある政治家や官僚は
いまの政府にはいないのか。