行動なくして
実現なし
007.被災地をみて

1人の力は小さいが…~被災地をみて2~

今月7日に岩手県大槌町に入った私たちは8日から町役場の手伝いをしてきた。

大槌町に入った日に町のボランティアセンターから私の携帯に電話がかかってきた。

「明日の作業なんですがパソコンの入力でもよろしいでしょうか?」

ボランティアは被災現場の作業を期待していると気を遣ったのか、

電話の声は大変申し訳なさそうだった。

私はあらかじめ「なんでもします」と伝えていたので、

言われるままに役場の「地域整備課」で仕事をすることになった。

 

ボランティア初日、津波でなくなった役場にかわって建てられた

プレハブ棟の役場へいった。

地域整備課は、瓦礫の処理と仮設住宅の準備という

2つの大きな課題を抱えていた。

そこで私たちはパソコン入力の前に

仮設住宅に関わる難しい仕事を手伝うことになった。

 

大槌町の仮設住宅の申し込みは、

隣接する釜石市より遅れて始まった。

このため釜石市と大槌町の両方に

仮設住宅の希望を出した被災者がかなりの数に上っていた。

また仮設住宅に希望を出しているが、

当たらなかった時のことを考えて借家を見つけようとしている人もいた。

借家を借り上げるときにあらかじめ手続きをすると

家電などを購入する費用を岩手県から支援してもらえる制度がある。

ただ、仮設住宅を2つ希望することは1人でも多くの被災者に

1日も早く仮設住宅を提供することを考えると望ましくないし

建設作業も進めにくい。

また、借家の支援制度を使う人は

仮設住宅を希望できない決まりになっている。

 

被災者にこうした事情を話して希望を一本化してもらうという

大変難しい電話かけを私たちはすることになった。

 

電話のむこうから聞こえてくる被災者の声は生々しかった。

電話がつながって「今お話しする時間ありますか?」と尋ねると

「火葬場の人がきているからかけ直してほしい」と言われた。

 そもそも被災した人だって、今後のことが決められるようだったら

希望をいくつも出さない。

みんな先のことが見えない。決められない。不安ばかりで希望がない。

仕事の関係で本人が釜石市の避難所にいて

年とった両親を大槌町の避難所に残してきたという人もいた。

子どもの学校のこともある。

そういう人に仮設住宅の希望を1つにしてもらうことは容易ではない。

家族で相談してもらい翌日また電話をすることも多かった。

被災者が求めているのは生活の安定だ。

「仮設住宅にいつから入居できるか」と何度も聞かれた。

また、ほとんどの人が津波でマイカーを失っているので

「希望した地区の住宅をあててほしい」とみんなから頼まれた。

「通院している家族がいる」 「乳幼児がいる」 「障害をもった家族がいる」

自分たちの置かれた状況を切実に訴えてくる。

聞いているだけで目頭が熱くなる話ばかりだった。

 

こちらから電話で話せることと言えば

「大槌町は、住宅の数だけはメドがたった」ということだけだ。

建設の時期や場所など具体的なことは決まっていなかった。

被災者の中には、

「なにかあったら井出さんに電話をすればいいのね」という人もいた。

そうなると「申し訳ないが自分はボランティアだ」と言うしかない。

電話で応対した人が町の職員ではないと知ったら

被災者はどれだけ失望するだろうか。

自分が今後の生活のことで大切な電話を役場でしたときに

相手がボランティアだったらと想像すると申し訳ない。

しかし町の人たちは、役場も大変だということを知っている。

仮設住宅の作業が遅れた理由は役場が津波に流されたからだ。

だから温かい言葉をかけてくれる。

「ありがとう」 「頑張って」といってくれる。

 

私は当初、役場での手伝いは1日で終わるかと思っていた。

しかし、役場の職員から「明日も来てほしい」 「明日は来れないか」と言われ

滞在した3日間、ずっと役場でお手伝いをした。

地震の発生から2カ月がすぎ

避難所や知り合いの家を転々とする不安定な生活は限界がきている。

仮設住宅は急がないといけなかった。

依頼されたパソコン入力とは、

被災した人に避難所で書いてもらった仮設住宅申し込み用紙を

データ化する作業だった。

申し込み用紙の余白に「お願いします」とか

個々の事情がたくさん書かれていた。

入力が終わらなければ仮設住宅が進まない。

ボランティアは通常、10時から16時といわれていたが

そんなことはいっていられない。町の了解をえて8時半から19時まで作業した。

 

仕事はやまほどある。人は足りていない。

しかしボランティアを受け入れて仕事を割り振る人がいない。

町の規模、職員の数で対応できる被害ではないからだ。

沿岸部で被災した市町村はどこも同じ状況だろう。

ボランティアの募集は、

社会福祉協議会が5人以上の団体申し込みを募っている。

大槌町の場合、仮設のボランティアセンターの駐車場は狭かった。

個人で押し寄せられると困るという理由も理解できた。

平日に時間のあいている人を5人以上集めることも難しい。

 

また、被災者は職を失った人がたくさんいる。

失業した地元の人を雇用して復旧作業を進めることも

町にとって大切な仕事だ。そのための予算措置もされているという。

ボランティアに重要な仕事をどれだけ任せられるかということもあるだろう。

自治体職員の応援派遣が欠かせないのではないか。

実際に活動してボランティア受け入れの難しさを改めて感じたが

被災地はまだまだ非常事態が続いている。

ボランティアを上手く受け入れている自治体との情報共有も必要だろう。

1人1人ができることは小さい。「たかがボランティア」なのかもしれない。

しかし「されどボランティア」だ。

瓦礫の片付け、仮設住宅への引っ越し、

避難所の運営、撤収など仕事はいくらでもある。

被災地のためになにかをしたいと思っている人は多い。

被災地で必要なことはどんどん声をあげてほしいし

ボランティアを上手く使ってほしい。 

小さい力でも、大きくする方法は必ずある。