こんばんは。
仕事や勉強ができる人の中に、「睡眠時間が少なくても平気だ」という人がいます。
特に若い時、受験や会社に入って駆け出しの時代に
友人や同期から「俺は3時間ぐらいしか寝てないよ」とか聞かされて
焦った記憶のある人もいると思います。
「睡眠は無駄なのか?」という疑問をふと抱いたときに、
たとえば
運動して休むという相反することを繰り返せば体力がつく。
勉強をして忘れることを繰り返しても無形の教養が積み上がる。
働いて稼いだお金も、つかうからこそ楽しみや遊びがうまれる。
人の生活は、相反する行動を繰り返すということの積み重ねで
成り立っているのではないかと考えるようになりました。
生活は無駄の繰り返しであり、
人生は、無駄の積み重ね具合で個性が定まってくるのではないか。
私がしていた記者という仕事は情報をとることが大切な仕事ですが、
情報をとるまでには相当の無駄を積み重ねます。
情報が取れればそれまでの無駄はすべて無駄ではなくなるのですが、
無駄が報われないことの方が多いです。
睡眠時間をけずって取材を重ねたこともありますし
情報をとるために、ない知恵を絞ってあらゆることをやりました。
効率という言葉が通じる世界ではなかったと思います。
そうこうしているうちに、生活にある「無駄」とは何かについて考えるようになりました。
一見無駄と思えることが実はそうではないこともある。
どんどん突き詰めると頭がこんがらがってくるので
いつも適当なところで「まあいいか」と考えることをやめています(笑)
1つだけ言えることは
1日24時間という時間は、生きている限り平等に与えられていることです。
時間の使い方が人生を決めるのは当たり前だと思いますが
効率的な生活がベストということは、決してないと思います。
与えられた1日24時間という時間の中で、
何かをすれば何かを失うことになるし
何年、何十年という長いスパンでみても
予想もしなかったものを得ていたり、失ったものに気づかなかったり。
私は、1つのことに打ち込んだり努力をすることが好きな方だと思っていますが、
人生をおおらかに考えたいと思うことがよくあります。
この話を、野球をたとえにはじめると…長くなりすぎるのでやめときます(笑)
きょうはなんだか抽象的な話になりましたが、
明日も、無駄か否か悩ましいジョギングが控えているので寝ます。