行動なくして
実現なし
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小沢さんの検察審査会への不平不満

検察審査会の議決によって起訴が確実になった小沢さんはきのう、

「(検察審査会は)11人の委員ということと、平均年齢30歳ということしかわからない。

全くの秘密のベールの中に閉ざされている。

どういう議論がなされ、どういうことで結論がなされたのかは、

私にも一般の国民のみなさんにも全くわからない。

その意味でも起訴議決には驚いているし、残念に思っている…(きょう産経新聞より引用)」と

検察審査会の秘密性をとりあげて議決へ疑問を呈しました。

 

私は以前このブログで検察審査会の秘密性を問題提起しましたが、

小沢さんはまさに同じところを突いて反撃に出ようとしています。

小沢さんの場合は、サッカーでいえばレッドカードを突きつけられた人が

ルールやその運用に文句をつけるようなものなので私は同意しかねます。

検察審査会は今回の小沢さんの問題でクローズアップされ、

昭和23年から始まり、相当数の国民が選任されている定着した制度だということが報じられています。

 しかし、去年5月から権限が強化され、事実上の公訴権を有することになりました。

以前にも指摘しましたが、権限が大幅に強化された以上

改めて検察審査会制度を見つめる必要はあります。

権限が大きくなった以上、今回の小沢さんのような

大きな問題の議決については検察審査会として説明するべきです。

去年から始まった裁判員裁判は司法制度の大改革ということで、

メディアが、裁判所の必死のディフェンスと戦った結果、

いまのところ制度がイメージしやすいものになっています。

しかし、裁判員裁判の開始と同時期に権限が拡大された検察審査会については

メディアも、いつかきょうのような日がくることを予想しつつもそこまで力が及びませんでした。

しかし今回の小沢さんの問題で検察審査会についての国民の関心は大きく高まり、

その期待にこたえるのはメディアです。

小沢さんのためでなく国民のために、検察審査会のベールを明かす戦いをメディアに期待します。