特定秘密保護法案で改めて注目された西山事件。最高裁判決で有罪が確定している。最高裁判決の大きなポイントは以下の点だと考えている。(以下引用)
「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものではないことはいうまでもなく、取材の手段・方法も贈賄、脅迫・強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、その手段・方法が一般の刑事法令に触れないものであっても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない」
簡単に言うと、刑法に触れることはもちろんだが、刑法に触れなくても「社会観念上是認できない」取材活動は違法性があると指摘している点だ。
同じ西山事件で、昭和49年1月31日、東京地裁は、西山毎日新聞記者(当時)に無
「公にされた情報は秘密に該当し、そそのかしにも当たるが、それ
私は、知る権利を守るためには、この東京地裁の考え方と同じ、暴露された情報・秘密が、どれだけ公益性にかなうかによって、取材や内部告発の処罰を考えるべきだと思っている。政府の不都合な真実が明らかにされ、そのことを国民の大多数が支持するような場合は、内部告発者や取材者を、政府が刑事告発すること自体、慎重に考えなければいけないと思っている。
西山事件当時のマスコミは「知る権利」を守る論陣を各社が展開し、この東京地裁判決を高く評価している。判決後の読売新聞夕刊は、
「行政権力は、国益の名のもとに事実を秘匿し、比較的些細なこと
翌日の朝刊では、いま読売新聞のトップで、西山事件の裁判で証言に立った渡辺恒雄記者(当時)が「知る権利は認められたが 秘密扱い多すぎる」という見出しの解説記事を書いている。また、同じ朝刊の社説「知る権利に限界があってよいか」には、「国家の秘密とは、政府が一方的に決めるものではなく、常に最小
こうした指摘は、特定秘密保護法案の審議が続いているいま、改めて真剣に考える必要がある。特定秘密保護法案について、新聞各社はかなりの紙面を割いて報道している。大臣の答弁が二転三転することを報じることも大切だ。しかし、今一度、知る権利の本質を換気する報道もしていただきたいと思うし、もちろん参議院の国会審議でも、改めて取り上げるべき問題だ。知る権利を徹底的に議論するのは、いましかない。
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